~kemnpusの気紛れ日記~ 仕事柄更新・レスが遅れる場合があるけど許してネ


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We are over

ここ数日オフコースを聴きながらノスタルジックな気分に浸っておりますが、
記事と並行して色んなお宝グッズを紹介しながらここら辺で一旦締めたいと思います。

『We are』『over』のポストを書くため本棚から資料を引っ張りだしたら、
こんな新聞の切抜きがページの間から出てきました。
c0128722_1653320.jpg

左上には手書きで”1982 6/10(木)”の文字。
c0128722_1655115.jpg

1982年、オフコースは最新アルバム『over』をひっさげて全国69公演を終え、
6月15日からは当時前人未到の日本武道館10日間公演でツアーのクライマックスを向かえようとしている、
まさにそのときでした。
当時社会現象にまで達していたオフコースの「解散」のニュースは衝撃的でした。
僕も急いで駅までスポーツ新聞を買いに行った。
そのときのスポーツニッポンの切り抜きです。

c0128722_1733635.jpg
 
今となっては有名な話ですが80年の『We are』、81年の『over』,、
2枚のアルバムを並べると ”We are over ; 僕らは終わった” というメッセージとなっています。
つまり彼等は80年の『We are』の製作に入る時点ですでに「解散」を決めていたということです。
理由は結成から小田和正と一緒にオフコースを作ってきた鈴木康博が脱退を表明したことにあります。
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1979年12月発売のシングル「さよなら」が大ヒットしたことによりオフコースは大人気バンドへと急上昇するのだけど、
そのことは結果として鈴木にとって追い風にならなかった。
レコード会社も次なる「さよなら」を期待し、周りのスタッフも次第に「小田をメインに」「小田をA面に」という方向性に傾いていったのです。
そして「オフコース」というパッケージ商品には周囲が作った「オフコースらしさ」という制約が設けられ、
次第に鈴木は自由に曲が書けなくなってしまう。
「オフコースであることが足かせとなった」とのちに鈴木氏自身が語っています。
彼は目の前の人気よりミュージシャンとして自由に曲が書けることを選択します。

↓『オフコース・ストーリー GIVE UP』 / 山際淳司著(すでに絶版)
82年夏に出版された山際氏の膨大なインタビューに基づく小説風ドキュメンタリー。
多くのファンがこれを読んで「真実」を求めた。
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小田和正もこの時点では「ヤス(鈴木)のいないオフコース」という選択肢はなかっただろう。
しかし前作『Three And Two』で清水・松尾・大間というメンバーが加わり5人になったばかりのオフコース、
彼もこの5人でバンドとして最高の作品・パフォーマンスを残してオフコースに「けじめ」をつけたかったのだろうと思います。

結局解散を前提に鈴木康博は説得される形でバンドに残り、あと3枚のアルバムに参加します。
(TV番組『NEXT』サウンドトラックも含めると4枚。しかしこれはスポットで1曲提供しただけという印象)

↓82年ツアーの豪華パンフ(左)と当時オフコースをよく取り上げた『ギターブック』誌の別冊『Now The Time』(右)。
こんなのヤフオクに出したら大変な騒ぎですよ(笑)
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並々ならぬ決意で臨んだ『We are』と『over』のレコーディングとツアー。
そして鈴木康博最後の参加となるアルバム『I Love You』。
文字通り最高の出来で音楽史に輝かしい足跡を残しました。
鈴木康博もプロフェッショナルとして過去にない名曲を残しました。

そして解散…、

となるはずでしたがファンの熱意と周りの説得が通じてか小田和正は4人でオフコースを存続させました。
この決断は小田和正もそうとう揺れたことと思います。
しかし存続は鈴木康博も望んでいたことでした。
のちに鈴木康博は脱退するにあたって「責任は果たした」と語っています。
ヤッさん、生き様が男として本当にかっこいいです。
もちろん存続を決意した小田さんも。

↓82年・ギター専門誌『Player』に紹介された鈴木氏・松尾氏のギターコレクション特集のコピー。
アルバム『I Love You』レコーディング中のスタジオにずらっと並んだギターの多さは圧巻です。
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オフコースはその後4人でいい曲をどんどんリリースします。
プロモに田中美佐子が出演した「夏の日」なんか大好きな曲です。

『夏の日』プロモはコチラをクリック→youtube夏の日/オフコース

しかし個人的には鈴木康博の抜けた穴が大きく、
その「夏の日」ですら特にサウンド面での違和感が隠せません。
シンセドラムを使うなど新しい音に進化したことも違和感の要因ですが、
コーラスは松尾一彦の高音だけでは満足できず、やはりあのファルセットが欲しいんです。
もはや僕にとってオフコースは同じ名前の別バンドとなり、急速に興味を失っていくのでした。
わがままなもんで、僕は僕で固定観念に縛られ「オフコースらしさ」を求めていたんですね。

やはり82年のあの夏、「僕等の時代」は終わってしまったのだな、きっと。

オフコースは89年2月・東京ドーム公演を最後に解散しました。

↓82年当時のポスター。左から2番目が鈴木康博氏。
四隅には画鋲のあとが。部屋に貼ってたんですね(笑)
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by kemnpus-ken | 2008-06-24 19:42 | 音楽